〜敵に塩を送る〜

　いつものようにＹＨＡで目を覚ます。昨晩のことを思い出しなが
ら隣の２段ベットに目をやると、カオルたちはいなかった。最後に
もう一度顔を見たかった。しかし旅先での出会いなんてこんなもの
だとあきらめた。下のベットを覗き込むと、聡は起きていた。髭面
が僕の顔を見つめている。

聡「おはよう」

　聡は表情をまったく変えず爽やかな挨拶をした。怖い顔だ。昨晩
の甘美な出会いが吹き飛んでしまった。挨拶をした聡を無視して、
怒り心頭ベットに戻った。

　荷物を整理しながら今日の行き先「フィッツロイ・クロッシング」
の情報を収集した。オーストラリアの地図で見ても、小さな田舎町
の雰囲気がぷんぷん漂う。地球の歩き方などのガイドブックには、
ほとんど情報が載っていない。ＹＨＡもないような場所だ。だが心
配することはない。町があるところに宿があることは経験でわかっ
ている。

荷物を抱えながら部屋を後にすると、ホテルのフロント前にカオル
と彼氏っぽい男がいた。彼女は僕に気がつくと声をかけてきた。

カ「これから出発ですか？」

　普通に話しかけてくるカオルに、男は不思議そうな顔をしていた。

志「そうです。これからブルームを目指します」
カ「がんばって下さいね」

　そう言いながら彼女は含み笑いをした。ヌーディストビーチのこ
とを言いたかったのだろう。昨晩のことに触れないようにしながら、
僕とカオルは会話を交わした。さも初対面のように話すのが、秘密
を共有しているようで心がくすぐったい。２、３分話をすると、彼
氏っぽい男が口をはさんだ。

男「それじゃあ僕たちも出発の準備をしますので…」

　二人が僕と聡をすり抜ける。カオルが行ってしまう。これでこの
子とは一生会えないんだ。そう思ったとき僕はとっさに手に持って
いたものを彼女に差し出した。

志「コレ。良かったら使ってください」

　カオルに渡したのは醤油。メーカーはキッコーマン。以前、中華
街で購入したものだ。僕ができる精一杯を彼女にプレゼント。女の
子に醤油をプレゼントするのは初めてだったが、喜んでもらえた気
がする。「ありがとう。とってもうれしいよ！大好き！チュッ」と
言われたかは覚えていない。そして男には塩をあげた。オーストラ
リアのスーパーならどこででも手に入るやつだ。

志「自炊するときにでも使ってください」
男「ありがとうございます」
カ「それじゃあ」
志「気をつけてね」

　そう言って僕たちは別れた。進行方向が同じ場合、大きな街で再
会することはよくある。しかし僕とカオルは逆方向に進んでいく。
本当のさよならだ。車に荷物を詰め込んで、僕らは「フィッツロイ・
クロッシング」に向かった。