〜ヒッチハイクされました−その３−〜
「ありがとう、パスポートとチケット見つかったわ」
アンドレアは紙切れを振りながら僕と聡に話しかけ、後部座席に
乗り込んだ。出発した時、東から射していた陽の光は真上からに変
わっていた。オーストラリアの太陽光線が肌に突き刺さる。今の時
間は12時前。およそ３時間を無駄にした。
今まで僕たちが１日に移動した距離はせいぜい５００キロ。だが
今日の目的地は８００キロ先にあるコーラルベイという街だ。しか
も出発時間は大幅に遅れている。太陽が出ているうちでないと、宿
泊場所は見つけにくい。あまり遅いと宿がお客さんでいっぱいにな
り、空き部屋が見つからない可能性もある。
車を発進させる前に、僕は後部座席を振り返りアンドレアに確認
を取った。
「もう忘れ物はないよね」
「大丈夫よ」
ゆっくりとアクセルを踏み込み、僕たちは再び西へと向かった。
この景色を見るのは３度目だ。車内には相変わらずバタバタと風の
音が鳴っている。時速90キロで走った場合、10時間後にはコーラル
ベイに着けるのだろうか。一抹の不安を感じながらオートクルージ
ングボタンを押し、アクセルから足を離した。
変わり映えのしない景色が続く。真上にあった太陽が、僕たちの
車を追い越して西の地平線へと消えていく。地球は時速90キロ以上
の速さで回っているようだ。そして地球の影が車を覆っていく。
夜のオーストラリアを車で走るのは危険だ。カンガルーをはじめ
とする動物たちが、ヘッドライト目掛けて突っ込んでくるからだ。
そのためオーストラリア郊外の道路脇には、車に撥ねられた数多く
の小動物が転がっている。
通常、オーストラリアを一周するような車には、カンガルーバン
パーと呼ばれる物が車のフロントに付いている。カンガルーが飛び
出してきて撥ねても、車を傷つけないようにするものだ。だが僕の
車にはそれがついていない。
万が一カンガルーが飛び出してきた場合、車に傷がつく分には構わ
ないが、どこかが故障したりドライバーが驚いて急ハンドルを切り、
どこかに突っ込むほうが怖い。
外灯のない道をヘッドライトの明かりだけを頼りに西へと向かう。
日没とともに気温は下がり、風の音だけが鳴り続ける車内の温度も
急速に下がる。後部座席にいるアンドレアは、割れた窓ガラスから
飛び込んでくる風をもろに浴び、両手で腕を抱え込み震えている。
とその時、ドライバーの聡が声を上げた。
「あれは…」
前方にふたつの明るい光がある。聡がアクセルを緩めてブレーキ
を踏むと、その物体の全体像がヘッドライトに映し出された。
「カンガルーだ…」
聡は車を減速させて、カンガルーの１メートル手前で停車した。
オーストラリアには体長30センチくらいのワラビーから、１メート
ルの大きさを越すカンガルーまでがいる。いま目の前にいるやつは
大物のカンガルー。フロントガラス越しにヤツと目が合った。でか
い。闘ったら負けそう。
カンガルーは車に慣れているのか、阿呆なのか逃げようとしない。
手をブラブラさせながらこっちを見つめている。
「ぜんぜん逃げないな」
聡はそう言うとクラクションを短く鳴らした。だがぜんぜん可愛
くないバカ面をこちらに向けて、微動だにしない。
「あ、ちょっと待ってください。カメラに収めましょう」
僕は後部座席に置いたカバンを手に取り、中からカメラを取り出
した。そしてカメラを構えようとした瞬間。シュタターン、シュタ
ターンとカンガルーは後ろ足を蹴り上げながら、ヘッドライトから
消えていった。まったく持って可愛くない。聡はアクセルを踏み込
み、車は再び暗闇の中を走り始めた。
いつまで走っても街の明かりが見えてこない。見えるものといえ
ばライトに映し出されるセンターラインと路肩に生える植物程度。
僕は助手席に座りながら、子供の頃に遊んだデパートの屋上におい
てあった車のゲームを思い出した。ベルトに描かれた道路の上をお
もちゃの小さな車を走らせるゲーム。
ベルトは上から下に回転するので、車に乗っている小さな人形から
は、曲がりくねった道を目的地に向かって飛ばしているように見え
ただろう。今の僕もコーラルベイに向かって走り抜けていると思っ
ているが、どこまでも続く暗闇を見ていると、人形が感じていたで
あろう錯覚に落ちているのではないかと不安になる。本当に目的地
に到着するのだろうか。
とその時、ドライバーの聡が声を上げた。
「なんだあれは！！」
前方の右斜め上空から光り輝く物体がゆっくりと降りてくる。そ
の声を聞いてアンドレアも後部座席から身を乗り出す。何かがヘッ
ドライトに反射しているのとは明らかに違う。まして動物の目では
ない。自ら赤青黄色のカラフルな光を発して、上空に浮きこちらに
向かってくる。それはまるで映画「未知との遭遇」に出てきた小型
ＵＦＯのようだった。
しかしそれに驚いているのは聡だけだった。光の正体は全長50メー
トルあるロードトレインのネオン。日本で言えばトラック野郎みた
いなもの。そのロードトレインが急な右カーブの上り坂の対向車線
から、こちらに向かってきているだけだった。
聡は僕が指摘するまでもなく、光の正体に気がついた。そして、
「なんだロードトレインか」
と言ってペロリと舌を出した。可愛いヤツ（ハート）。
午後11時。車は宿に到着した。幸いにも受付には人がいて、この
日の宿も確保できた。僕たちはひどく疲れていたので、一緒にビー
ルを飲んだり「今日は本当にありがとう。今日のお礼は体でさせて
もらうわ。うふん」とアンドレアが言うこともなく即行で寝た。
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