〜てぇへんだ！底辺だ！−Revolutions−〜
無言の攻撃が始まった。僕とハンサム、ゴリ男、普通君の４人が
芝生を踏みしめる。４人が同じ場所にいては行動しにくいので、四
方に散らばった。僕は車の陰へ、普通君は木の後ろへ、ゴリ男はBBQ
を行うブロックを積んだ所へ、ハンサムは果敢にも洗濯機置き場の
屋根によじ登った。トタンの屋根を突き破らなければいいのだが…
真夜中の裏庭に、洗濯機置き場の明かりが漏れている。時折揺れ
る明かり。その先に河童とケイコがいた。女は洗濯機に背中を預け、
突っ立ている。それに覆いかぶさるように、男が女を抱きしめてい
る。耳を澄ますとふたりの話し声が聞こえた。
「駄目だよ。こんなの。みんなにばれちゃうよ」
「もう遅いよ。みんなはもう気がついてるよ」
男は言いながら女の首筋にキスをした。「あ…」。漏れる吐息。
「今日は駄目だよ。明日にしようよ。ね」
河童はすでにジーパンを太腿まで下げていた。戦闘準備は万全。し
かしケイコの着衣に乱れがない。ちぇ〜。河童はケイコの抵抗を押
さえつけるように唇を重ねた。がんばれ河童。君はなんとなく嫌な
ヤツだったけど、今だけは応援するぞ。
あたりを見渡すと、普通君とゴリ男はさらに洗濯機置き場の近くへ
と忍び寄っていた。それはまずいって。それ以上前に行くと、覗く
場所は洗濯機置き場の入り口になってしまう。入り口からひょっこ
り顔を出したら、いくら夢中になっているふたりでも気がつくって。
だがさらにまずい男がいた。ハンサムは洗濯機置き場の屋根の上で
スパイダーマンのように四つんばいになり、トタン屋根の穴から中
を覗いていた。
服のこすれる音がする。抱き合う河童とケイコ。河童がケイコの
ジーパンの中へと手を滑り込ませようとする。しかしケイコはその
手を制してしまう。
「ダメ」
「お願い」
そんなやり取りが数分は続いていた。僕たちが覗く前から、ふたり
はこんな駆け引きをしていたのだろう。そのため河童に多少の諦め
た感じが見られる。
「明日の昼ね。ゴリ男くんとちょっと別行動とるの。その時にしよ
う。ね」
入り口の近くまで来ていたゴリ男の動きが一瞬止まった。
「ねぇ何で明日なら良くて今はダメなの？」
「だってこんな場所じゃ。それにみんなに変に思われるし…」
こんな会話がしばらく続きそうだった。今日ケイコは落ちない。僕
はふたりの情事に見切りをつけ、木の陰からいったん暗闇の中に紛
れ込んで、キッチンへと通じる階段を上りドアの近くに戻った。す
ると僕の目の前にいる屋根の上の男が手招きをし、下を指差した。
ところどころに穴が開いている。覗けというのか。僕は屋根に両手
をつき、明かりの漏れる穴に目をやった。しかしそこから見えたの
は、地面だけだった。僕は顔の前で手を横に振り、見えないという
ジェスチャーをハンサムに送った。するとハンサムは手招きをした。
屋根の上に上れというのか。
さすがにふたりは上れないだろう。トタンの屋根を突き破ってしま
う。「僕は無理だ止めておく」と手振りで伝えたが、ハンサムは
ゆっくりと屋根の上で後ずさりした。そして「ここなら見える」と
指し示した。しかしその時、
バキッ！！
という音が屋根からした。突き破りはしなかったものの、トタン屋
根の一部が割れたのだ。僕とハンサムは見詰め合ったまま静止した。
恐らく下のふたりは気がついただろう。だが河童とケイコが洗濯機
置き場から出てくる気配はなかった。
僕はキッチンへのドアへと後退りを始めた。ハンサムも四つんばい
でこちらに向かってきた。音を立てないようにドアを開け、僕とハ
ンサムはキッチンに戻った。ゴリ男と普通君はまだこないが、ジャ
イ子のいるリビングへ向かった。
「見れた？」
ソファに座っていたジャイ子が話し掛けてきた。僕とハンサムは見
たままをジャイ子に伝えた。キスをしていたことや、河童のジーパ
ンが太腿まで下がっていたこと、どうやら明日決行されるらしいこ
となど。ジャイ子は「最低！」と言いながらもうれしそうだった。
少しすると普通君とゴリ男も戻ってきた。
僕たちは今見てきたことで盛り上がるわけでもなく、それぞれソファ
に座ってくつろいでいた。僕たちの頭からはすっかりアルコールが
抜けていた。肩透かしにあって呆けていた。するとキッチンのドア
の開く音が聞こえた。ふたりが戻ってきたのだ。
僕は気まずい感じがして、リビングを離れた。多少後ろめたさを感
じていたのかもしれない。河童とケイコと、顔を合わしたくなかっ
た。僕はリビングの連中に「おやすみ」と挨拶をして、その場を離
れた。そして入れ替わりでふたりがリビングにやってきた。
僕は自分の部屋にいったん戻り、歯ブラシセットを持ってリビング
の手前にある洗面所へと向かった。歩きながら耳を澄ましてみたが、
リビングから会話は聞こえなかった。しかし歯を磨き終わり、洗面
所のドアを開け自分の部屋へ戻ろうとしたとき、リビングからどよ
めきが聞こえた。
「キャー！」
「ウオー！」
そしてジャイ子を先頭に男たちがリビングから飛び出してきた。
「どうしたの？」
僕が尋ねると、ジャイ子が嬉々として教えてくれた。
「ふたりがリビングで洗濯機置き場での続きを始めたの！」
「キャー」
僕たちはそれぞれの部屋に避難し、そのまま眠りについてしまった。
この日、R.B.P.のリビングでひとつのカップルが誕生したかは定か
ではない。しかしこの手の話はオーストラリアでは珍しい話ではな
い。ラウンド中に知り合ったふたりは、得てして金がない。すると
愛を育む場所は限られてしまう。今回は洗濯機置き場で覗かれてい
たが、人によっては３６０度地平線が見える場所で、カンガルーに
覗かれながら、情事に耽ったカップルもいたかもしれない。
オーストラリアにワーキングホリディでやってきた男女は、滞在中
に３回恋をするという。河童とケイコの場合は、その１回がたまた
ま洗濯機置き場であり、みんなに覗かれていたというだけの話だ。
翌朝、僕はふたたび裏庭に降り立った。昨晩、情事があった場所を
見てみたくなったのだ。太陽光線が降り注ぐ下で、洗濯機置き場に
足を踏み入れてみた。昨日ケイコが背中を預けていた洗濯機が回っ
ている。そこには破廉恥な空気はなかった。洗濯機置き場を出ると、
木の陰でバイクをメンテナンスしていた普通君がいた。同士よ。戦
友よ。僕は、はにかみながら彼に声を掛けた
「昨日はどうも」
「あ、どうも」
「昨日はあれからどうしたの」
「僕はベッドに潜って、しばらくしてから寝たんですけど、寝るま
でに色々考えてたんですよ」
「へぇー何を？」
「よく考えると、昨日の僕たちって最低ですよね。人としてやっちゃ
いけないことですよ。覗きなんて」
「まぁね」
「僕は人間として底辺だなって思うんです。けどね、唯一救いなの
は志帆さんよりはましかなって。昨晩の志帆さんは底辺たちのリー
ダーでしたよ。言ってみれば底辺の中の底辺。底辺隊長ってやつで
すかね。かっかっか」
普通君に大変ありがたくないあだ名を頂戴した。この名前が浸透
する前にパースを離れるぞ！と僕は誓った。
| 
前の旅行記へ